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磨崖クルス
キリシタン地下礼拝堂
吉四六さんの墓
普現寺
風連鍾乳洞
(国指定天然記念物)
戸屋平湧水
久保ん谷湧水
九重塔
(国指定重要文化財)
金明孟宗竹
(県指定天然記念物)
明治橋(鉄橋)
虹澗橋
(国指定重要文化財)
安政橋
石場ダム
野津ダム(観音滝)
吉四六ランド
吉四六ばなし案内板



磨崖クルス
 
円の中に雲形台に乗った干十字章を陽刻したものです。年代は不明ですが大友宗麟が豊後を治めていた時代に作られたものとされています。
現在は、平山茂樹氏が所有していますが、この十字章があるのでクルスバの地名がついたのか、この上の小高い所(崖の上)に、十字架が創られていたためにクルスバの地名があるのか、さだかではありません。しかし、この様な歴史的な遺物があることは、驚くばかりで弾圧下に良く残ったものだと思われます。
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キリシタン地下礼拝堂
 
横穴式古墳を利用したとされる隠れキリシタンの地下礼拝堂です。地上には洞穴を隠すようにお堂がありますが、洞内の五輪塔には明瞭な十字が刻まれ、天上の中央にも十字が刻まれています。当時のキリシタン弾圧の中、人々の信仰心の深さを物語っています。
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吉四六さんの墓
 
初代廣田吉衛門(吉四六さんのモデル)のお墓です。寛永5年(1628〜1715年)その後7代続く苗字帯刀を許された、弁指(小庄屋)でした。住居は現、野津町役場の南西側にあったといわれています。お墓もありましたが菩提寺に移転しました。
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普現寺
 
臨済宗妙心寺派。永仁二年(1294)、大友親秀の男因幡守親直公(野津五郎頼宗)が金像の普賢菩薩の霊夢により当寺を建立。覚庵禅師を請じて開山とし、普賢の音通に従い普現寺と号す。大友島津の乱により一時荒廃するが、正保四年(1647)現在地に復興し月桂寺四世大安和尚を再興開山とする。(普現寺略史、大友興廃記による) 境内には約200本ものもみじがあり、紅葉シーズンには赤と黄色のじゅうたんでみなさんを迎え入れます。11月にはこのもみじがライトアップされ幻想的な雰囲気を作り上げ多くの観光客の目を楽しませています。
*2020年のライトアップは中止となりました。
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風連鍾乳洞(国指定天然記念物)
 
大正15年(1926年)地元青年団によって発見され、2年後に天然記念物に指定されました。奥行き500mの閉塞型の鍾乳洞であるため外気の進入が少なく、風化することなく純白に近い光沢を放ち続けています。洞穴内には随所に高いホールができ、石筍・石柱・つらら石などの鍾乳石があります。洞内最大の石筍・競秀峰は高さが10m、周囲16mにも及び見ごたえ充分です。洞内の奥の1500uの広場・竜宮城にあります。
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戸屋平湧水
 

楯ヶ城トンネルの工事中に噴出した湧水を平成14年に水汲み場として整備しました。今では多くの人々が楯ヶ城の原始の水を求めて訪れています。

臼杵市野津町戸屋平(佐伯市本庄との市境)にあります戸屋平湧水が平成29年7月1日現在湧いていません。
地震の影響と思われます。(一昨年の熊本地震で水量が減り、本年6月の佐伯市が震源の地震のあと湧水が止まってしまいました。)

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久保ん谷湧水
 
狩猟の神、シシ権現近くの大自然の中に湧き出している湧水です。夏には湧水を利用したソーメン流し、ウナギのつかみ取りなど様々なイベントが催され、野津町の夏の風物となっている。
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九重塔(国指定重要文化財)
 
文永4年(1267年)に造立され、鎌倉時代の層塔として大分県を代表する石造美術品のひとつです。石質は凝灰岩、総高595センチ、基礎は高さ43センチ、巾106センチ、四面には大形の格狭間が一個ずつ刻まれています。軸部は四角で、初重は高さ78センチ、巾77センチで東面には薬師、南面には釈迦、北面に弥 、西面に阿弥陀の順で四仏が陽刻してあります。また北面の向って左端には、「起立文永ニ大歳ニ丁卯(西暦一ニ六四年)卯月八日僧定仙敬白」(特色としてニの字を二つ重ねて四をあらわしている)と銘文が刻まれています。豊後の石造塔婆のあらゆる要素はこの塔を基にしているといわれています。
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金明孟宗竹
 
野津町の岩瀬地区にちょっと変わった孟宗(モウソウ)竹があります。キンメイモウソウといい県指定天然記念物となっています。孟宗竹の突然変異で鮮やかな緑色と黄色とが交互に節を彩ります。昭和45年ごろに生息しているのが確認され、その後雑木の伐採などの環境整備を行った結果、昭和52年ごろには約700本まで増えて現在はもっと多くなっています。現在キンメイモウソウが確認されているのは福岡県、高知県、宮崎県など西日本の数ヶ所でしか確認されていません。
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明治橋(鉄橋)
 
国内で現存する最古級の鋼桁道路橋です。明治35年(1902年)に完成した2連橋です。完成した当時は鋼材もコンクリート足桁の技術も一般化されておらず、近代架橋技術の黎明期を今に語る貴重な歴史遺産です。
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虹澗橋(国指定重要文化財)
 

文政7年(1824年)に架橋された九州を代表する石橋と称されています。石造アーチ式、総長31mで三重町と野津町の間を流れる三重川をまたぐ、頑強で高雅優美な橋です。170年間、県道竹田〜臼杵線の大動脈として地域発展のために貢献しました。
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安政橋
 
万延元年(1860年)に完成しました。三重市と臼杵城下への藩道で雨のたびに川止めとなった難所でした。この橋は右側に溝を設け、水道橋としての働きもしていました。歴史的、美術的、構造的にも虹澗橋と雌雄を決する橋であり、貴重な文化財である。
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石場ダム
 
野津町、三重町の畑地のかんがいを目的として昭和44〜48年にかけて築造されました。ダム周辺にはキャンプ場等が整備されています。春には桜並木を楽しむことができ、湖面では魚釣りが楽しめます。
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野津ダム(観音滝)
 
平成12年に完成した重力式コンクリートの多目的ダムです。近くには神秘的な「観音滝」があり、広葉樹の中は散策の穴場となっています。
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吉四六ランド
 
『吉四六ランド』は、自然と歴史とロマンを盛り込んだ約15万平方メートルの総合レジャーパークです。敷地内には、サッカー・グランドゴルフ等にご利用できる400mトラック内に天然芝を張った多目的グランド。ナイター設備付の野球場、テニスコート、ゲートボール場、子供公園、野外ステージ等があります。また園地内に植えられた樹齢約40年、2000本のソメイヨシノは大分県下有数のさくらの名所となっております。
郷土の誇り『吉四六話』を中心に野津町観光イベントの情報発信基地として《ノツーリズム》の中核を担っております。
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吉四六ばなし案内板(全44基設置)
 

大分県地域活動支援事業の補助を受け、吉四六かるた読み札44枚に記載された吉四六ばなしを案内板として臼杵市野津町に設置しました。
全部で44基の案内板は記載されたそれぞれの吉四六ばなしにゆかりのある地に近いところに設置しています。
何枚見つけることができるかな?

全44基の設置場所はこちらのマップでご確認いただけます。
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吉四六の里観光協会(臼杵市役所野津庁舎市民生活推進課内)
〒875-0292 大分県臼杵市野津町大字野津市326-1 TEL:0974-32-2220
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